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喫茶にじのまど
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西武新宿線/久米川駅近く、空堀川沿いにある「喫茶にじのまど」のブログです。
ここでは期間限定メニューや健康についての記事をのせています。
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本のギャラリー:阿倍仲麻呂「天の原〜」

「天の原 ふりさけみれば 春日なる  御笠の山に いでし月かも」は 百人一首にも収められている阿倍仲麻呂が詠んだ有名な短歌です。学生の頃、彼が唐の国から故郷を思って詠んだ歌と教えられましたが、 その意味を深く知ることはありませんでした。 そして、今年開催された春日大社の展示会で「春日」とは春日大社であるとの説明を聞き、 この短歌にまつわる背景を調べてみたいと思いました。9月・10月は本のギャラリーで展示も行っていますので、合わせてご覧ください。

 

<短歌の直訳>

広々とした空の遠くを見ると、 春日にある御笠の山にも出ていた月だなぁ

 

<歌につけられた注記(現代語訳)>

この歌はかつて仲麻呂を留学生として唐土に派遣したところ、 長く年を経ても帰国が叶わなかったのを、我が国からさらに使節が派遣されて到着したのを機に、連れ立って帰国させようとして唐の都を出発したところ、明州という海辺でかの国の人々が送別会を開いてくれた。 すると夜になって月があでやかにさし上がったので、それを眺めて詠んだものであると今に語り伝えられている。

 

<短歌を意味を読み解く>

★この短歌からわるか情報は春日という土地があり、そこに御笠山という山があるといことだけである。

★「御笠の山の月」の謎…奈良時代の遣唐使が平城京を出発する前、二月の春日祭神の日に御笠山・春日山のふもとで、神に航海の安全を祈願した史実があり、その時の映像が故国の記憶として鮮明に残っていたのではと言われている。

★「いでし月かも」の「し」…回想の助動詞と言われる「き」の 連体形「し」が使われている。   

 ▶今、見ている月→見た場所、見えた場所は明示されていない。   

 ▶かつて見た月→春日にある御笠山の月だが、 いつ見たかは明示されていない。   

 *明示されているのは昔、春日にある御笠山の月を見たということだけ

★「見れば」の「ば」…接助詞の「ば」に注目すると、 「巳然形+ば」は確定条件を示すので 「〜スルト」「〜ナノデ」と訳される。 *通常「ば」に続く言葉には今見ている月の内容が表現されなければならないが、表現はなく、過去の月が表現され、どのような心情で詠んだのか、聞き手と読み手が短歌の内容を推理していく作りとなっている。

*短歌や俳句という文学、いわゆる短詩系文学は聞き手と読み手の想像力に依拠して設計する余韻・余情の文学であり、この短歌にはよく表れている。

 

<短歌にまつわる歴史的背景>阿部仲麻呂記念碑

◆阿倍仲麻呂◆

奈良時代に遣唐船に乗り717年に唐に留学しました。唐の皇帝に忠誠を誓いその臣下となれば誰でも試験を受けられますが、受かるのは千人に一人とも言われる「科挙」の試験で及第(合格)となりました。その後栄進し、国立図書館長などの地位につき、玄宗皇帝から厚い信頼を得ました。そのため、なかなか帰郷を許されず、753年にようやく許され、帰国しようとしましたが船が難破し、ベトナムに漂着してしまい、日本に帰国することは叶わず、3年後唐に戻り、そのまま生涯を終えました。

成していました。また、国を治めるための制度である律令法が完成していて、それが奈良・平安時代の日本にも律令体制が導入され、現在まで続く日本国の枠組みを作り出しました。

◆春日大社◆

春日の神が御岳山に祀られたのは今からおよそ1300年前、奈良に都(平城京)が遷された頃です。御笠山は奈良の都から東に位置し太陽と月が登り、都を流れる川の水源となる山で、奈良の守り神を祀るのにふさわしい山でした。その御笠山の裾野に建てられたのが春日神社です。

◆遣唐使◆

西暦630年から894年までの間、日本から中国の唐に派遣された公式の使節(朝貢使)です。およそ10数年から20数年の間隔で遣唐使の派遣が行われました。大使・副使とその随員以外にも、通訳・医師・留学生・留学僧、楽師、各種工人たち、また船を操る船師 (船長)、船匠(船大工)、その他の船員(漕ぎ手など)や射手たちなど、1隻に100〜120人ほど乗り込みました。遣唐使の目的は唐を中心とする東アジアの国際情勢の情報入手と、先進的な唐文化の摂取でした。長年にわたり派遣され続けた遣唐使は、唐の政治制度、仏教、文化・技術などを学び、また書物・工芸品などの文物を 持ち帰り、日本の国造り、文化の発展に大きな影響をもたらしました。  

◆唐(618年−907年)◆

約300年間も存続した安定した王朝でした。都はシルクロードの出発点である長安(現在の西安)におかれ、東西文化が融合した国際色豊かな文化の形

◆玄宗皇帝◆玄宗皇帝像

712年に皇帝となり、治世の前半は「開元の治(かいげんのち)と呼ばれる政治で、中国史上とても安定した政治で唐を絶頂期に導きました。しかし、治世の後半は政治に飽き、楊貴妃を寵愛したことから政治を放棄し、755年には「安史の乱」と言われる反乱を招き都・長安を追われますます。この乱で皇帝の地位と楊貴妃を失い、長安に戻って半分軟禁された状態で過ごし、762年に崩御しました。

◆奈良時代◆

唐の都である長安にならい、710年に奈良に平城京がつくられ、都が移ったことから始まり、794年に平安京が移るまでの時代を言います。仏教によって国を安定させようと、大仏や国分寺が建立されました。和同開珎(わどうかいちん)という貨幣も使われました。 万葉かなと言われる文字が使われるようになり、「古事記」「日本書紀」「万葉集」などの書物もつくられました。
 

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